齊藤文護

僕は隠れていたり、みえにくかったりする、形のないようなものを写真で表現したいと思っています。
優しさや、思いやりや、愛や、氣づかいや、和みや、語らいや、団欒や、熱意や、志や、闘志や、祈りや、氣づきや、ゲンキや、、、、、、、、、
そして僕たちが生かされている宇宙の、地球の、今が垣間みせてくれる、想像も超えた美しい心と自然と、あらゆる瞬間を見たいのです。
星をみてください。太陽をみてください。月をみてください。空をみてください。
山を、海を、川を、岩を、土を、森を、木々を、花を、雲を、風を、空氣を、生命の仲間たちを。御自分を見てみてください。
この瞬間に生きる人々の素晴らしさを表現したい。
この瞬間の清々しい空氣を表現したい。
この充実した瞬間への感謝の氣持ちを表現したい。
振り返ってみると、バイト先で見た華やかで生き生きと働くカメラマンの姿に憧れ業界に入りました。技術によって光や機材を駆使し、美しい真実を表現する仕事に熱中し走り続けた時代から、ファインダー越しに見える世界に自分の空想物語りを感じ、イギリス、フランス、フィンランド、インド、オーストラリア、ニュージーランド、アラスカ、ボストン、ニューヨーク、ボリビア、ペルーを一人で歩いた時代がありました。
現在の撮影スタイルに続く、この一人で歩いた時代。老人の散歩には絶好の時間とルートがある事を知り、手をつなぐ親子やカップル、走る少年、ブランコを漕ぐ少女、街を横断する人々、何でもないタンポポ畑、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
見過ごすような瞬間には、被写体も氣づいていない生命の表現があり、発信がある事。物語がある事。周囲との調和がある事を知りました。
「分かってきた事は自分が氣づくか氣づかないか」
それは撮影者として氣づき表現できるか、できないか。だけではなく。「生きる楽しみを感じる方法として」皆さんが氣づくか氣づかないか、とも思えます。
今、国内の聖地を歩く事も、マスターズアスリートの姿を追う事も。自分のルーツであり、将来につなげたい日本の文化・歴史・伝統・精神・自然を僕なりに表現する事も。僕は僕の使命だと思っています。
地球を愛し、生命を愛し、争いは嫌で、平和な日常にいたいですね。
そんな現実にしたいですね。
そんな写真を写させてください。


神記憶